› 海人の知って得する不動産情報 › ライフスタイル宅建主任者の赤嶺恵子です
今日から、初めて投稿します。
H、29年午年生まれの53歳です。
宅建の免許は、22歳の時に取りました。
その当時は、バブル最盛期で不動業者は儲かっていました。
土地の売買が多く,安く土地を買っては登記はせずに
すぐにうる、いわゆる土地転がしをして社長が、儲かっていたのを鮮明に記憶してます。
当時の内閣総理大臣田中角栄の、日本列島改造論の時で
土地が右から左と、転がるように売れたものです。
その当時40,50代の年頃であったならば、私も今頃は
不動産屋の、女社長になって、人生変わっていたかもしれません。
が不動産会社は、1年足らずで辞めて、司法書士事務所に10年ほど勤め
結婚、して子供が生までてからは、専業主婦になり、子育てに専念しました。
専業主婦歴15年、下の子が高校生になってから、また、働き始めました。
長いブランクは、あったものの、不動産及びに登記関係に精通した知識があったお陰で
高年齢での再就職も可能だと思ってます。
宅建の資格をとっいて、良かったとしみじみ思います。
この年になって思った事は、定年のない仕事、手に職をつけること
資格をとって生かせる仕事、男女、関係なく、一人でも生きていける
経済力を、身に着けることの大切さを、50代にして思います。
若い方はいくらでもやり直しがききます。自分でこでだと思う仕事を見っける事
そしてその仕事に生きがいを見出し、忙しく、はただけ、それなりの収入が
得だれでば、最高だと思います。以上私からの、アドバイスです。
次回からは、不動産情報を書き込みます。
H、29年午年生まれの53歳です。
宅建の免許は、22歳の時に取りました。
その当時は、バブル最盛期で不動業者は儲かっていました。
土地の売買が多く,安く土地を買っては登記はせずに
すぐにうる、いわゆる土地転がしをして社長が、儲かっていたのを鮮明に記憶してます。
当時の内閣総理大臣田中角栄の、日本列島改造論の時で
土地が右から左と、転がるように売れたものです。
その当時40,50代の年頃であったならば、私も今頃は
不動産屋の、女社長になって、人生変わっていたかもしれません。
が不動産会社は、1年足らずで辞めて、司法書士事務所に10年ほど勤め
結婚、して子供が生までてからは、専業主婦になり、子育てに専念しました。
専業主婦歴15年、下の子が高校生になってから、また、働き始めました。
長いブランクは、あったものの、不動産及びに登記関係に精通した知識があったお陰で
高年齢での再就職も可能だと思ってます。
宅建の資格をとっいて、良かったとしみじみ思います。
この年になって思った事は、定年のない仕事、手に職をつけること
資格をとって生かせる仕事、男女、関係なく、一人でも生きていける
経済力を、身に着けることの大切さを、50代にして思います。
若い方はいくらでもやり直しがききます。自分でこでだと思う仕事を見っける事
そしてその仕事に生きがいを見出し、忙しく、はただけ、それなりの収入が
得だれでば、最高だと思います。以上私からの、アドバイスです。
次回からは、不動産情報を書き込みます。